時代を読む

ジャーナリスト嶌信彦のコラムやお知らせを掲載しています。皆様よろしくお願いいたします。

15日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』ゲスト:ネパールのピーナッツバター工場社長(株式会社SANCHAI) 仲琴舞貴氏 音源掲載

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スタッフからのお知らせです。
15日のTBSラジオ 
『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30~)ゲストにネパールのコタンでピーナツバターを生産し、日本でも販売されている株式会社SANCHAI 社長の仲琴舞貴氏をお迎えした音源が掲載されました。来週水曜正午まで期間限定で配信中です。

世界にはまだまだ産業化に取り残された地域があるからと、ネパールで無農薬のピーナッツバター工場を設立するまでの経緯と、そこにたどり着くまでのパッションなどをお伺いしました。 

次回も引き続き仲氏をお迎えし、ネパールでピーナッツバター工場を設立し、そこで生きる人々の人生を豊かに変えるきっかけ作りや、素晴らしい商品とその物語を世界中の人々に届ける思いや人生観などにつきお伺いします。

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余談ですが、このピーナツバターは濃厚でかなりおいしく雑誌『CREA(クレア)』などでも紹介されており、オススメです。


東京地区ですと週末に表参道の国連大学の敷地で行なわれている青山ファーマーズマーケットなどか、SANCHAIのホームページでの通販にて購入可能です。

年金のハシゴをはずすな

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 「人生100年時代」だと日本人の長寿化をはやしておきながら、100年時代を公的年金だけで生きようとすると“老後の生活費が2000万円不足する”という金融庁の報告が出た。すると途端に、麻生金融相は「誤解を与えるのでその報告書は受け取らない」と駄々をこねた。間近に迫った参院選に不利とみたためらしいが、自ら諮問した報告書を受け取らないとはお笑い草だ。

 報告書は、夫が65歳以上、妻が60歳以上の無職の夫婦の場合、毎月の収支の赤字額は平均5万円で、今後人生100年時代に向けて生きるとすると約2000万円が不足になると明記している。2000万円ないと長寿は金銭的に不可能だと正面をきって言われれば、無職の夫婦は誰しもたじろぐに違いない。

 現在、20~30代の年間収入の平均は約300万円弱といわれる。夫婦共稼ぎだと500万円台くらいだと思われる。しかし、住宅、生活費を支払い子供二人もいたらカツカツでとても貯蓄などにおカネを回せない。このため、子供一人の世帯が多く少子高齢化もストップできないのが、日本の現実なのだ。

 そんな現実におかれているのに2000万円を蓄えよとか、一世帯の子供の人数を1.8人(現状は1.4人以下)に増やさないと2050年の日本人人口は8000万人にも届かないと他人事のように政府は指摘する。しかし国民の給与や貯蓄、生活の実情をどこまでわかっているのかと言いたくなる。

 しかも、企業は増収傾向にあるのに給与は増えず、あのトヨタ自動車でさえ年収を今後4~5%低く抑えると言い、ここ10年間の時給も一般企業の平均で9%も減っているのである。

 さすがに政府も気が引けたのか、「100年安心は年金制度の持続と個人の生活を年金だけで賄うことを保障したものではない」と弁明し、資産を息長く活用する必要性を訴え始めた。それによると、現役期は小額からでも資産形成の行動を起こす、退職期が近づいたら退職金額を確かめ老後の資産が十分かどうか調べたり、再雇用などで継続して働くかどうかを検討する。高齢期には資産をどう取り崩すか、認知能力の低下などに備えた対応を取るように、と指摘している。

 むろん、人によって資産のあり方は異なるが、一般的には公的年金だけでは暮らしが難しくなるので今から対応を考えておけということらしい。しかし多くの人は、退職後は年金をかけてきたのだから豊かに暮せるはずだ、と思って人生を過ごしてきたのだ。人生の最終局面になって年金だけでは豊かな暮らしはムリですよ。と言われたらハシゴをはずされたようなものではないか。
【財界 2019年8月6日 第500回】

なお、本コラムは参院選前に入稿したものです。

【9月7日】多くの書評で取り上げられた『日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた』がついに角川新書『伝説となった日本兵捕虜』として発売

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スタッフからのお知らせです。

9月7日に角川新書より『伝説となった日本兵捕虜―ソ連四大劇場を建てた男たち―』が発売されることになりました。

嶌は戦後70年を迎えた2015年秋に、ウズベキスタンで捕虜として抑留された日本兵457人がタシケントに優れたオペラハウスを建設した事実をまとめたノンフィクション『日本兵捕虜はシルクロードにオペラハウスを建てた』を角川書店より上梓しました。このテーマは、嶌がNPO日本ウズベキスタン協会を設立した後、10年以上にわたり取材、調査をしてきたものです。実話のノンフィクションとするため、何度か挫折しながらも書き上げた、思い入れのある作品です。

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同書はその後、徐々に売れ行きを伸ばし3刷となり、ついに発売から4年余りを経て、旧版の本を加筆修正し、今回新書版として発売されることになりました。

タシケントの街が大地震で殆んど崩壊したにも拘わらず、日本人の建てた「ナボイ劇場」はびくともせず、凛として悠然と今日まで建ち続け、なおオペラハウスとして存在している物語は、日本人の伝説として中央アジアなどに広まっており、日本人のものづくりの確かさ、勤勉さ、和と協力の精神などで今なお感銘を残しています

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余談ですが、日本ウズベキスタン協会は昨年20周年を迎え、明日(9月6日)より20周年記念の旅行を開催します。ちょうど本書の発売日である今週金曜日(9月7日)は、ウズベキスタンタシケントに滞在中で、同日に本書の舞台であるナボイ劇場や日本人墓地を訪問する予定となっていますので、よいご供養になるのではと思っています。

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ぜひ若き日本の抑留者たちが忍耐強く苦役を克服し、一致団結の和の精神で期日までに劇場を完成させて中央アジア全体に多くの親日国を作るきっかけにつながったことを知って頂き、満州抑留兵のもうひとつの秘話・金字塔を広めて欲しいと願っています。

新書版となり、価格も安くなり、持ち運びも容易になりました。どうかお知り合いの方におすすめいただければ幸甚です。また、秋に日本人論を再考し、読書の秋の感涙の一冊としてもご推薦いただけると幸いです。

ウズベキスタンの位置

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8月25日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』ゲスト:株式会社和の優グローバルCEOのドー・チハウ氏(二夜目) 放送内容まとめ

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TBSラジオ 『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(日曜 21:30~)は様々な分野で志を持って取り組まれている方々をゲストにお招きし、どうして今の道を選んだのか、過去の挫折、失敗、転機、覚悟。再起にかけた情熱、人生観などを、嶌が独自の切り口で伺う番組です。2002年10月に開始した「嶌信彦のエネルギッシュトーク」を含めると間もなく17年を迎える長寿番組です。

8月25日は株式会社和の優グローバルCEOのドー・チハウ氏をお迎えした二夜目、通算883回目の放送でした。

一夜目の放送内容まとめからご覧になりたい方は以下リンクよりご覧下さい。

18日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』ゲスト:株式会社和の優グローバルCEOのドー・チハウ氏(一夜目) 放送内容まとめ - 時代を読む

以下8月25日の放送内容の抜粋をお届けします。

早稲田大学大学院での有意義な学生生活
アルバイトをしながら早稲田大学の大学院で国際政治学を学んでいた。それはマレーシアに帰国したら、政治の道に入りたいと考えていたからだ。早稲田大学では、皇后 雅子様のお父様の小和田恆先生に出会った。小和田先生は国連にいらしたことから、一般的な教科書ではなく国連の資料を用い、非常にリアルな話を交えながら授業を行なわれた。素晴らしく、立派な方で、尊敬でき、ものすごく感動した。経験されてきたお話など、あらゆるものが本当にすごく、勉強になった。早稲田大学で学んだことをマレーシアで活かせば、非常に有意義な勉強だったと更に言えると思っている。

■日本のビジネスの弱味
大学院を卒業後、日本の中小企業に入社。大企業では一つの部署が長く業務が限定されることが多いため、中小企業で様々な経験を積んだほうが勉強になると思ったため中小企業に入社。3社ほど経験した。そこでは学校では学べないことを学んだ。

日本の企業の特色の一つは、アメリカの会社は実力主義だが、日本の会社には内部政治闘争や派閥があり、上司から言われたことを反抗せずに守っていることだった。競争させ、実力を出さないと企業は伸びないというのが日本の企業のマイナス面だ。国際化の時代、こんな形ではなかなか勝てない。改革ではなく革新をどうやっていくかが大事。

昨日のことを同じようになっていたのでは日本の企業はのびず、生き残りではなく勝ち残りのために戦っていかないと負けてしまう。

■日本人の資質
日本人は非常に誠実で真面目。かつ責任感が強く頑張っている。特に今の大企業の年配の方々は信用を背負いながら頑張られている方々が多い。その反面、実力をはっきり出せる人材を集めないとグローバル化において日本はこのままでは負けてしまうと思う。

ある中国の大手企業から依頼を受け、ある日本企業に協業を提案していたが、その日本企業は判断に非常に長い時間を要した。最終的にこの案件はドイツの企業に依頼された。日本は責任社会で、契約が失敗した際にクビになるのではないかという懸念を持っている社員が多い。企業精神を持って、企業がどうしたら拡大できるのかを常に考えるべきだ。

■ビジネスの本来のあり方
また、サラリーマン生活で接待に同行することが多かった。私は商品の品質、値段、サービスで勝負して仕事を勝ち取るのが本来のビジネスだと思っている。接待を受けたからといって本来の実力ではなく仕事を勝ち取る企業は伸びないと思う。接待が悪ということではなく接待を受けてしまうと温情が残り、ビジネスの判断が鈍るが、発注後、結果が出てからの接待は多少は良いと思う。マレーシアや香港でも同様なことはある。

■ビジネスで大事にしていること
サラリーマン時代、社長からその商品が売れるか否かがわからないから十分な市場調査は必要なく、売れない場合は安売りしてさばけばよいと言われた。しかしながら私は十分な市場調査を実施し、品質の良いものを適正価格で売るのが本当のビジネスだと思う。そして、それら無しで接待で得た仕事は結果として長続きせず、最終的に失敗している。

これまで、日本の企業を見てきて、ビジネスを始める上で何が大事というと「責任」と「信用」だ。自分のビジネス哲学としてフルサービスを心がけている。ビフォー、アフターも同じサービスを提供しないと信用を失ってしまう。

ビフォー、アフターは何かというと私は不動産業界から事業を開始したが、お客様が不動産を購入し手数料を払って終りではない。その資産を管理し、どうやって守っていくか、どう活用するのかを継続的にフォローし続けている。

■顧客の立場に立ったビジネスを
また、商品を作る際には自分が顧客の立場になった商品作りを心がけている。日本や香港で商品をリサーチしてよいものを作れば、絶対に良い商品が完成する。自分が納得できないものは不良品という扱いにしている。それは、不完全な商品を無理やり販売し、不良品の烙印を押された時点で二度とチャンスは巡ってこない。商品をただ作るだけでなく、お客様の動向まで読まないとビジネスとして成立させることは難しい。

不良品を出さず、良いものを安く届けるため、同じ志を持つ人材を育てていけば必ず成功すると日本で学んだ。それを地道に続けてきたことで、ビジネスを開始した時は、小さい会社だったが、今は規模が大きくなり何社か上場する会社を抱えるまでになった。

■将来を見通すことの重要性
自分が成功したのは、「人脈」と「情報」。これらを非常に大事にした。マーケットを動かすのは人。今後、5年、10年、20年、全て人が動かすものであるから情報が必要。情報によって先を見通せる。今しか見なければ周りはライバルだらけと感じるが、将来を見据えるとライバルがおらず、事業が加速していく。

今の自分があるのは自分自身の力ではなく、人脈やそこから、もたらされた情報のおかげ。その中で重要なのは、その情報が良いものかどうか見極めることだと思う。

■日本の原点と恩人
自分が成功できたのは日本のおかげで、一番お世話になったのは錦糸町でお世話になったお寿司屋さん。それが自分の原点で、受験料をカンパしてくれた板前さんと店長のおかげ。板前さんを探しているがなかなか見つけられない。

大学入学時に保証人が必要で店長に相談すると、養子にならないかと言ってくれたこともあった。マレーシアにいる両親に相談したが、自分は一人っ子なのでその願いを叶えることは出来なかったが、店長と板前さんは自分の両親に次ぐかけがえの無い存在。

「はじめ」という名前のお店だが、以前同じ場所を訪れたら中華料理店になっていた。今、60代だと思うが、もし会えたらもう1軒お寿司屋さんを作ってあげたいと思っている。日本に来て非常に親切にして頂いたことが自分を支えてきた。ぜひこの恩返しをしたい。

■将来、実現したいこと
60代くらいになったらマレーシアに戻り政治家になりたいと思っている。今、マレーシアの中華系マレーシア人の割合が少なく、政治力が薄れてきている。多民族国家なので、民族の壁を無くし、国際化時代を頑張って日本で学んだことを生かしていきたい。

マレーシアの将来は明るい。クアラルンプールに金融特区「TRX(Tun Razak Exchange)」が建設中で、さらにマラッカの大きな港「マラッカ・ゲートウェイ」を作っているので(いずれも2020年に完成予定)、今後の10年は明るいと思っている。

■マレーシアと日本の架け橋に
日本民族は研究開発に強く、ビジネスは中華系が強い。私は新たな事業を始める時、真面目で優秀なので必ずスタッフに日本人を入れる。今後お互いの強みを活かしながら、両国の絆を深めていけるよう精進したい。


これまでの自伝とドー氏がこれまでの日本の経験を通じ感じた、日本企業の強みと弱みを記された書籍は以下リンクを参照下さい。

波乱高まるアジア貿易 ―日・韓・米・中― 

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■韓国をホワイト国からはずす
 アジアの貿易が波乱の様相をみせてきた。第一は、韓国の元徴用工を巡る訴訟で、韓国最高裁が日本企業に賠償を命ずる判決(2018年10月末)を出した。また、日本が今年になって韓国をホワイト国からはずす政令改正を決めたことだ。日本はこれまで武器転用できる製品や技術の輸出先に、安全保障上の問題がない国として世界で27カ国をホワイト国として認めていた。ホワイト国と認定されれば、最大3年間まとめて輸出許可が取れるなどの優遇措置があり、韓国にもこれまでホワイト国の待遇を与えていた。

 しかし日本政府は今年7月、韓国をホワイト国からはずし、輸出の個別案件ごとに政府の許可が必要になるように変えたのだ。一度ホワイト国に指定されていた国をはずしたのは今回が初めてのケースだった。

 日本側は理由として「あくまでも韓国の輸出管理や運用が不十分だったので見直したまでだ」と説明した。世耕弘成経済産業相は「韓国を他のアジア地域と同じ扱いに戻しただけで、手続きや管理をしっかりやれば、これまで通り日本に輸出入できる」と強調している。

■韓国は猛反発
 日本は韓国をホワイト国から除外したことで、7月4日に韓国向け輸出規制強化の第一弾として半導体関連3品目を包括許可の対象からはずし、輸出契約1件ごとに政府の許可が必要となるようにした。韓国側からすれば手続きが煩雑になり、貿易が滞る可能性が出てくるわけだ。さらにホワイト国からはずれると武器転用の可能性のある化学物質、炭素繊維などの先端素材や工作機械なども個別許可が必要となる。さらにその他の資材でも輸出先用途に武器転用の懸念があると判断した場合には輸出の許可を取るよう求めることができる。ホワイト国からはずされると貿易上の規制が増え、極めて厄介になるのだ。

 当然ながら韓国は猛反発した。韓国の最高裁判決に対する日本の報復措置とみたからだ。今回の措置は日本が戦前に韓国人を日本の鉱山などで働かせた元徴用工に対し、韓国最高裁判所が損害賠償を求める判決を出したことへの報復・対抗措置ではないかとみたのである。しかも7月に第一弾の規制を実施してから8月に第二弾、さらに第三弾も行なうとしているため、韓国では日本製品不買運動が広がり、タクシーや地下鉄には「日本に行かない、買わない」と訴えるステッカーが目立っている。また、韓国は韓国戦艦が自衛隊機へのレーダー照射事件を起こしたり、日韓の軍事技術や戦術データなどの防衛情報を共有することを定めたGSOMIA(日韓秘密軍事情報保護協定)の破棄を決定した。

■徴用工問題への意趣返しか
 日本の韓国向け輸出額は2018年の場合、約5兆8000億円で半導体等の製造装置(6300億円)や鉄鋼(4500億円)などが多く、このうち個別許可が必要になる品目は金額で97%程度にあたるのではないかとみられている。日本側にとっては影響は軽微だとみているが、韓国側では個別許可が不要だった約900品目について許可を得る必要が出てくるかもしれないので貿易が滞る心配があるわけだ。ともあれ日韓の貿易問題で混乱が出てくることは、元々日韓関係はギクシャクしがちだっただけに両国にとってはまた厄介なタネが増えたことになる。このため、アメリカが日韓の仲介をはかる動きに出ているが、具体的解決策はみえておらず当分紛争が続きそうだ。韓国の文在寅大統領は日本のホワイト国除外措置に「盗っ人たけだけしい」と非難。日本の安倍首相は、「1965年の日韓請求権協定で解決済みのはずで今になって国と国の約束を守れないのは遺憾だ」と批判し、今のところ歩み寄る気配はなく、アメリカも手をこまねいている状況だ。ただ、文大統領は2~3日後、言い過ぎたとみたのか「話合いに応ずる」と軟化したが、具体的な解決方法はまだみえていない。

■米・中間も関税上乗せで対立
 アジアの貿易でさらに厄介なのはアメリカと中国の貿易戦争だ。18年7月から始まった貿易戦争は、今年9月までに和解しないと第4弾に突入してしまう。第3弾までにすでにアメリカは中国からの輸入額約2500億ドルに25%の追加関税をかけ、これに対抗して中国は約1000億ドル分の輸入品に関税10%を25%に拡大するとしている。今年6月末に米・中は一時休戦で和解したかにみえたが、わずか1ヵ月で崩壊してしまった。しかも第4弾の関税対象額は第1~第3弾までの計2500億ドルを大きく上回り中国からの輸入品3000億ドル(約32兆円)分に10%の関税を上乗せするというもので、中国からの輸入品のほぼすべてが対象になるといわれる。当然、中国も報復を言明しており、この中国の発言に世界の金融・株式市場まで動揺している。中国はこのところ景気の悪化が続いており、米中貿易戦争はさらに不況を深刻化させる懸念もあるのだ。

 しかも、世界の景気は徐々にピークを過ぎつつあり、アメリカは10年半ぶりに金利引き下げを実施したほどだ。一方、日米も日本の自動車と農業分野などで市場開放や関税撤廃の交渉が続いており、アジアの貿易はあちこちで火が吹いている状況といえる。どこも財政的な余裕もないため、世界で貿易が停滞すると深刻な世界不況がくることも心配されている。
TSR情報 2019年8月26日】

画像は外務省「第9回日中韓外相会議」より

昨日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』ゲスト:世界的に活躍されている写真家の石内都氏 音源掲載

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昨日のTBSラジオ 『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(21:30~)サイトに世界的に活躍されている写真家の石内都氏をお迎えした音源が掲載されました。

美大でデザインを学んでいた最中に学生運動に参加。仲間の女性を集め男性を撮影した写真展の開催や、横須賀の街、写真の世界に入った経緯などについてお伺いしました。

嶌と同世代で学生運動が盛んな時代を共に過ごしているだけに、貴重なお話を嶌の視点で伺うことができました。

次週も引き続き石内氏をゲストにお招きし、40歳の人生の折り返しを迎えた同年代女性の手と足の接写、代表作でもある広島原爆の犠牲者の衣服を撮影や、母の遺品を取られた写真集を出された想いなどにつきお伺いする予定です。

参考まで石内氏の写真集の一部をご紹介いたします。合わせて以下リンクを参照下さい。



なお、石内氏の個展「石内 都 展 都とちひろ ふたりの女の物語」が11月1日から来年1月31日まで東京・練馬のちひろ美術館にてが開催されます。本展覧会では、新たにいわさきちひろ氏の遺品を撮り下ろしたシリーズ「1974.chihiro」29 点の初公開とともに、自身の母親の身体や遺品を撮影したシリーズ「Mother's」も展示が予定されています。
詳細は以下リンクを参照下さい。

18日 TBSラジオ『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』ゲスト:株式会社和の優グローバルCEOのドー・チハウ氏(一夜目) 放送内容まとめ

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TBSラジオ 『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』(日曜 21:30~)は様々な分野で志を持って取り組まれている方々をゲストにお招きし、どうして今の道を選んだのか、過去の挫折、失敗、転機、覚悟。再起にかけた情熱、人生観などを、嶌が独自の切り口で伺う番組です。2002年10月に開始した「嶌信彦のエネルギッシュトーク」を含めると間もなく17年を迎える長寿番組です。

18日は株式会社和の優グローバルCEOのドー・チハウ氏をお迎えした一夜目、通算882回目の放送でした。以下放送内容の抜粋をお届けします。

■父から儒教の教えを守る
マレーシア マレー半島のクアラルンプールの北に位置するペラ州(マレーシア西海岸北部)で誕生。幼い頃から父の背中をみて、「正義」と「信用」が大事と思ってきた。幼い頃は「信用」ということは良く理解できず、「正義」は理解できたのでいじめられていた子を守るような子供だった。儒教の教えから父に「正義」「信用」「責任」「親孝行」を忘れてはいけないと教えられ育った。

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(c)2019 Google

■勢力が拡大し、親分的存在になった高校時代
仲間の相談を受けるうちに仲間が2人から4人、そして8人に増え、最終的には2000~3000人の大勢力の親分的存在になった。時にいじめられた仲間のあだ討ちで喧嘩をしたりした。ある日、仲間の一人が4人に殴られ、翌日仲間100人、バイク20台で報復に行くと相手は驚いて逃げ出した。その後、そのウワサを聞いた街のヤクザに呼び出され親分にスカウトされたが、断った。

多民族国家で語学を習得
マレーシアは主に中国系(3割ほど)、マレー系、インド系から成る多民族国家で非常に融和的な国。私は中国系。その環境のおかげで私は小さい頃からマレーシア語、英語、広東語、福建語の4つの言葉を習得しており、もう一つ言葉を覚えれば武器になり国際的な貿易やビジネスが出来ると若い時から考えていた。

■日本への関心の高まり
マレーシアはイギリスの植民地だったことからイギリスの法律の影響を受けており、イギリスに留学したいと思っていた。調べると1年間で1千万円ほど必要で、学業とアルバイトを並行出来る状況ではないこともわかった。父に相談したが金銭的に厳しく、それなら当時マハティール首相が推進していた「ルック・イースト(東方)政策」(日本の復興、近代化を見習う政策)の手本である日本で学ぼうと思い始めた。

「ルック・イースト」と日本はマレーシアで好評で、日本のサムライ精神、忍耐力、礼儀正しさ、信用など、マレーシア人にとって学ぶべき文化だと皆が共通の認識を持っていた。

私は子供の頃から世界をみたいと思っており、アメリカにも興味があった。しかしながら、アメリカは銃社会で父は快く思っていなかった。日本は平和で、礼儀正しく、安心できることから父が留学先として日本を勧めたことも決め手の一つだった。

日本を留学先にしたもう一つの決め手は、日本は学びながらアルバイトが可能なことだった。オーストラリア、アメリカ、イギリスではアルバイトと学業を並行しながら留学することは厳しい。実家が裕福ではなかったので、自分で留学費用を工面し、生活の糧として学業とアルバイトを両立させなくてはならなかった。日本に来て、アルバイトと学業を並行出来たのは本当に助かった。

■期待を膨らませ日本へ
21歳で好奇心を持ちドキドキしながら来日した。日本で一番見たいと思っていたのは「雪」だった。初めて「雪」を見た時、綺麗で感動したが、本当に寒く、一度見て満足した。

もう一つやりたかったことは、日本の文化を学びたかった。日本は戦後、一気に経済成長を遂げ、先進国の仲間入りをした素晴らしい民族。今なお多くのことを学ぶべきだと思い、日本の文化や日本の精神を学んでいるとともに、自分の子供を日本の学校に通わせ日本の文化、哲学を学ばせている。

■来日時の苦労
来日前、証券会社で勤務していた時代(91、92年頃)はアジア経済が活況だった。少しづつ株式投資を続け儲けることができ、そのお金で何かあったらすぐに帰国できるよう往復航空券を買い、残り13万円の現金を握り締めて来日。

来日当初、日本語が全くできなかった。来日直後、一緒に来日したマレーシア人7人のなかで一番若いポーさんからお金の相談を受けた。「実は1円も持ってきておらず、そのうち仕送りが母から来るので3万円貸して欲しい。」と言われ、「いつ仕送りはくるのか?」とたずねたが「わからない」と言われた。

持参した13万円のうち、3万円の自転車と布団を買い、3万円貸すと4万円しか手元に残らない状況で非常に悩んだが ”神様に無事に過ごせるよう祈り”、ポーさんに3万円貸した。早く、働かないといけないと思い、紹介されたのが錦糸町のすし屋だった。

■恩人に出会う
そのすし屋は店長、板前さんで営まれ、私は出前を担当することになった。当初、「よろしくお願いします」という日本語しかわからず、お互いにボディランゲージと、英語をおりまぜ会話していた。半年ほど経ち仲良くなった頃、大学受験料の3万円を工面しなくてはならないという事情を知った板前さんが毎日お酒のビンに500円づつ入れカンパしてくれ、必ず出世払いしようと心に誓った。

また、お金が無かったので朝食は食べず、9:00から13:00に学校に行った後、すし屋のまかないまで何も食べられなかった。その事情を知った板前さんが店長に相談してくれ、それ以来、店長が毎日アルバイトの帰りに朝食用のパンを1個くれるようになった。

さらにアルバイトを増やしたいと思い、知り合いのマレー大学に留学していたエツコさんという方に仕事を紹介してもらい、土日もフルタイムで働くようになった。そこは、19時から21時まではディナーを食べながらバンド音楽を楽しみ、その後明け方までディスコになるところ。当初ホールで働いていたが、にぎやかだったので店長に相談し、外にある駐車場の担当に変えてもらった。200台ほど止められる大きな駐車場で車が来ない時は本を読んでいられたのでよかった。

当初、駐車場の売上は1~2万円程度だったが、近所のクラブなどの車を誘導したり工夫を重ねていき最終的に毎月40~50万円にまで増やすことができた。この時の経験は、いろいろと勉強になるものだった。

二夜目25日の放送内容のまとめは以下リンクを参照下さい。


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